愛を諦めないで(2)
前回の続きです。
ごく小さいとき・・・うまく愛を受け取れなくて寂しい思いをして、そして 愛を受け取ることが ずっと苦手になってしまったとき。
意識では 愛されたい、と願っているにも関わらず、いよいよその場面が来ると逃げ出してしまう、というパターンをもっていたりします。そして、相手が去ると、痛みを感じながらも、どこかホッとします。
愛を受け取る、という「不可能なこと」をしなくてすむからです。
愛を受け取るために必要なパワーが 前回お話しした「学習性無気力」により、減退してしまっているのです。
とは言え、わたしたちは 相手を、愛や優しさを 求めずにはいられません。
認めてほしい、愛してほしい、というのは 誰にでもある基本的な欲求で、これが満たされないと、わたしたちは精神的に死んでしまいます。
餌を取れなくなったカマスが餓死してしまうのと同じように。
だから しょっちゅう葛藤を味わうことになります。
でも、葛藤って苦しいですよね。
そこで、葛藤を避けるために、しているあること、とは。
無力感の方を正当化する理屈で意識を固めているのです。
愛されたいと思うなんて みっともない、とか。認められたいと思うなんて 卑しい、とか。
自分の周りには ろくな人間がいない、とか。人間なんて損得でしか動かない、とか。
どうせ誰にもわかってもらえない。とか。自分は非常に特殊な、欠陥のある人間だ。とか。
なにもそんな変な理屈を無理矢理こねくりださなくても。。。と 思うようなことばかりかもしれませんが、これ、言ってみれば 葛藤を避けるためのヨロイですから、ご本人には非常に大事なものだったりします。
そればかりでなく、思考も感情も行動も、このヨロイに合ったものが出てくるように無意識がコーディネイトしていますから、こういった理屈=自意識のようにさえ、ご自分の中では感じられています。
さらに、たいへんに大事なものですから、このヨロイに触るものを感じると、意識の中で強烈に警報が鳴り出し、恐怖を感じます。体調を崩すことさえあります。
でもね。
ここで 思い出してほしいことがあるんです。
(続く)