フィクションをいくら見ても、そんなの現実じゃないってことくらいわかるから、現実生活が影響されることはないっていう論がある。

過激なマンガやゲームと類似した犯罪が起こったときとか、よく聞く。
同じマンガを読んでたり 同じゲームをしてたりしても、実際に犯罪を犯すような人の方が圧倒的多数なんだから 一緒にしないでくれ、って思うのは無理もない話。 

でも、だから まるで影響を受けないかっていうと やっぱりそれも違うような気がする。 

思い出すのは、バブルの頃とか・・・・。
 
それまでの常識的日本人感覚から離れてタガが外れたようなお金の使い方する人だのやたら海外旅行するヤツだの。クリスマスは、恋人とお洒落なホテルで豪華なディナーを食べるのが当たり前の過ごし方だと思いこんでた。もちろん、プレゼントはティファニーのオープンハート。そうできないと惨めなような気さえしてた。彼らが雑誌やTVの影響を受けてないなんてはずはなかったのだ。

もっとも、その親が、だいたい戦後世代なはずだってことを考えると、親から引き継いだ、なんつーか世代的な恨みも 背景に、あるかもしれないけど。幼少期が戦局激しく空襲と疎開にぶちあたって食べるモノも物資もなかった、っていうことの反動?(このへんはよくわからない)

まあそんなことはともかく、恋人にお金をいっぱい遣わせること以外にも クリスマスを楽しく過ごす方法なんていくらでもある。

肝心なのは 「こうでなくちゃ幸せじゃない」って思いこんでた、ってトコなのだ。

Aという絵を見てAという行為を再現するかどうか、っていう点では、確かにフィクションの影響力はそれほどでもないかもしれない。

でも、Aという絵を見せることで その背後にある価値観を刷り込むことはできるような気がする。


昨日流れたライブの中で、キヨシローは歌ってた。
「なぜ悲しいニュースばかり TVは言い続ける」

TVが言い続けてる悲しいニュースは どんな影をいま、落としてるんだろう。